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岡  秀 行

Author:岡  秀 行
本当は「寺小屋」のようなことをしたかったんだけどなぁ...どういう訳か今は山梨県甲府市で『かんむら』という名のみんなの居場所を制度を活用しながら、時には活用しなかったりしながら運営しています。この先はたぶん制度から離れていく方向になるのかなぁ...。いずれにしてもココは誰も排除することなく、にぎやかでごちゃまぜになることを楽しんでいる場所です。

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連日の運動会
今日はウチの長男シローの運動会。送迎やら何やらで、午前中最後の演目に何とか間に合った
シローはこっちに気付き、満面の笑顔で意気揚々と仲間たちとダンスを披露する。
「大きくなったものだなぁ~」と目頭が熱くなった...。

今日も山梨日日新聞の一面に『かんむら』の記事が掲載された。
『かんむら』は朝から電話の応対に追われた。「ウチの家を宅老所として使ってくれ」「見学の受け入れはしているか」等々。運動会でも、「新聞見たぞ」「がんばれ!」と、いろんな人から応援の言葉をいただいた。7月頃はこんなことになるとは想像もできなかった。温かい言葉はいつでも嬉しいもの、いろいろな人に感謝だ...。
ちなみに、『かんむら』は事業拡大は一切考えておりません。お問い合わせいただきましたみなさんにもお伝えしましたが、その地域のためを思って宅老所をつくるのであれば、その地域に住んでいるあなたたちが行うべきだと考えております。なぜなら、岡はその地域の特性や住民の方がお持ちのニーズが判りませんから。勿論、どの地域にも宅老所は必要だと考えておりますので、運営などに関わる方法論等は判る範囲でいつでもお答えもしますし、志を同じくした仲間、共に歩んでゆきましょう。

さてさて、シローの最後の競技が終わったので、3時過ぎには『かんむら』に帰って来た。
『かんむら』の近所に住む利用者の「光子サン」と話す。
最近は、浮かない表情が目立ち、子供たちの写真を見ては涙を流している。

夫は既に他界しているが、二人の脳性麻痺の子供たちがいる。
二人とも他市町村の同じ施設に入所している。
上の長男は10年ほど前に入所、今年の三月末に長女も入所。
認知症を患っている光子サンには後見人が付いている。
長女には別の弁護士が後見人となっている。
長女のマチコチャンの入所が決まり、子供思いの光子サンにどのように伝えればいいのか支援者達は思案していたようだ。入所については僕も直前に知ったのだが...。
光子サンは頭に血が昇りやすく、大切にしているマチコチャンのことだ。何をするか判らない。
そこでみんなは困っていたようだ。
今の光子サンは、必要な支援さえあれば何とかマチコチャンと暮らしていける。光子サンの後見人やケアマネジャー、僕は入所には反対だった...。
然し、結論はマチコチャンは入所...。
今もあの時の無力さは忘れられない。

光子サンは『かんむら』の利用当初、居留守を使うは、『かんむら』を泥棒呼ばわりするはと、本当に大変だった。そういえばいつだったか、自宅の庭で焚火をしていた。何を燃やしているのか聞くと、認知症の薬「アリセプト」だった... 処方した医師は、彼女に薬が必要であるかをいかにして伝えたのだろう...。
そんな彼女は、最初は平日の利用だった。
然し、迎えに行っても居ないか、居留守。仮に『かんむら』に来ても着くや否や、「マチコがデイサービスから帰ってくるから帰る!」と歩いて帰ろうとする始末...。「これは腹をくくって人間関係を作って行かねば...」と思った。
それからは朝晩問わず、彼女の自宅を訪れては無駄話をしては帰った。時期になると『かんむら』はご近所からたくさんの野菜をもらう。生活保護を受けている家庭なので、おかずの足しにしてもらおうと持って行くこともしばしば。それでも最初の頃は、その野菜が無残にもゴミ袋に捨ててあったこともあった。
一か月程経ったころだろうか...。夕方、自宅を訪問すると、玄関にカギがかかっている。彼女はかなり耳が遠いので大声で名前を呼んでいると、マチコチャンがカギを開けてくれた。平日はデイサービスに行っていて、午後4時頃にはいつも帰っていた。会話はほとんど成立しないのだが、意思の疎通はできるので「ありがと」と言うと、「行く...車...行く...」と応える。「ハッ」とした。
光子サンに、「マチコチャン、『かんむら』に行きたいって言ってる。」と伝えると、「その子は私と一緒でないと一人では何処にも行けない。 連れて行かないで!」と言う。 "その言葉を待ってました~"
「日曜日にお迎えに来るから、マチコチャンと一緒に『かんむら』に行こう」と伝えるとすんなりと...。 

そもそも親子の絆を法律で寸断すること自体おかしいのだ。みんな一緒でいい。それぞれ違った個性が集うから面白いのだ。福祉では「社会参加」とよく言うが、家から一歩外に出れば社会。一歩出た先にはいろんな人がいるじゃないかと思う。違った個性が集まるからからこそ、いろ~んな化学反応が起きる。だから面白い。おんなじ特性を持った人ばかりが集まれば如何かしら...?

それからは二人一緒に皆勤賞 マチコチャンはお昼ご飯代だけでの利用。それまで入浴を嫌がっていた光子サンは、マチコチャンとだったらと毎回快く入浴 仲良く二人一緒に家庭用の個浴槽に浸かった。 劇的に変化し、すべてがうまく行っているかのようだった...。マチコチャンの『入所』という要件を除いては...。

行政も交えた関係者会議も重ね、マチコチャンは入所となった。
光子サンには入所直前まで事実を伏せておこうということになった...。
光子サン側の僕ら三人は、彼女たちの在宅生活の支援をなんとか継続できないか協議していた...。然し、ダメだった...。時に感じるこの無力さ...。今でも胸が痛む...。

入所最後の晩、感情が不安定になっている光子サンとマチコチャンが自宅で過ごすのは危険だろうとの判断から、『かんむら』に泊まることになった。本当は家がよかったのだが、それほどまでに光子サンの心は痛んでいた。晩ご飯は、光子サン側の後見人の野田さん、ケアマネジャーの田村さん、岡も混じってにぎやかだった。みんなで飲んだ酒はひどく心にしみた...。田村さんと僕はその晩彼女たちと枕を並べた。

別れの朝...、施設に向かうマチコチャンの車が『かんむら』についた。そして別れ...。あの光景を僕らは忘れることはないだろう。そして、忘れてはならない。

光子サンはあれからというもの、2週間と置かず、20キロほど離れた施設にいるマチコチャンに面会に行っている。母親なのだ。然し生活保護の身、毎回タクシーを使っての出費は痛い。そして最近、いよいよ限界が近付いてきた。
田村さんに最近の状況を伝え、彼女の心のケアについて話し合った。そして、行動の時ではないかと...。

だいぶ長くなったので、具体的な部分は改めます。

明日は、次男トシの運動会...。

世のお父さん...。
ガンバロー


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