2011-10-18 Tue
ウチのシローが通う山城小学校、毎朝通学路に父母やボランティアの方が立って旗振りをする。今日は岡がお当番。
7時30分から横断歩道際に立って子供たちが来るのを待っていると...来た来た。かわいいヒヨッコ達が...。
大きな声で「おはよー」と挨拶すると... 何だなんだ...

返ってこない...「おはよー」の声が...

たまに挨拶が返ってくる子もいるが元気がいいとは言えない。
こちらの声は聞こえていないのだろうか?
朝ご飯は食べてきたのだろうか...。
血色の悪い顔、うつむいて歩くその姿にがく然とした...。
どうなってしまったんだ?
大丈夫だろううか?
日本は...。
我々が幼い時は「元気よくあいさつを」と言われ、皆で競ってムキになって挨拶したものだった。
あのころの日本は元気だった。
その日本で育った僕たちもまた元気だった。
元気すぎた僕たちは、よく先生たちにゲンコツをもらったものだった。
それからかれこれ30年...。
教師が鉄拳を振りかざそうものなら親に訴えられ、「ゆとり教育」と正反対に位置づけられた「受験戦争」という現実、そのなれの果てがこうなのか...。
断っておくが、教師の体罰を推奨している訳ではない。
学校というよりは、家庭教育が原因なのか...。
そりゃ、ウチだって威張れるほどのことは子供に対して出来ていない。
放ったらかしである部分も多い。
シローやトシが野生化している時もある。
けれども、肝心なことは彼らの魂に訴えかけているつもりだ。
要領の良い、「よくできた子」に育って欲しいとは、これっぽッちも思っていない。
不器用でも、まっすぐ育ってくれればいいと思っている。
これまで勉強しろと言ったことは一度だってない。
学びたいと思えば、きっとそうするであろうその時まで待てばいい。
そんなことよりも、一つの挨拶がちゃんとできる子に育ってほしいと願う。
勿論、気分的に気持ちの良い挨拶ができないときもあるが...。
『かんむら』に出入りする子たちは、比較的元気にあいさつができる子が多い。
ウチの子も含め、決して勉強がよくできる訳ではないが。
別に、あいさつができる子のすべてが素晴らしく、できない子のすべてがそうでないと言っている訳ではない。
「難しい事」ではなく、「あたりまえの事」ができるということ。
挨拶が交わされない社会が健全なのだろうか?
そういえば、登校班付き添いのお母さんですらこちらの挨拶にはノーリターン。
まるっきり無視...

こりゃぁ、子供に挨拶をってのが無理ってもんだ。
『元気にあいさつを』

別に、大げさなことを言おうというのではない。
人間関係やコミュニティの形成には欠かせないものだと思っているだけ。
握手、ハグ、何だっていい。
心が通う手段であれば...。
『かんむら』もその原点に帰ろう。
最近、バタバタしていて気持ちの良い挨拶ができていたかどうか...。
目を見て挨拶くらいできる「ゆとり」もないようじゃ困るものね。