2011-12-14 Wed
北井ジィ...パワフルな96才。この人に関わったことで『かんむら』の立ち上げが現実のものとなった...と言っても過言ではない。
『かんむら』にはなくてはならない大切な人。
北井ジィに関わって、「人として生きること」のありがたさを感じた人は少なくない。
ジィに出会い「この人のことをもっと知りたい」と強烈におもい、一時期ご自宅に脚しげく通った。
介護ってものは理屈なんかじゃなく、「その人のことを知りたいと思うこと」から始まるんだって、ウチのスタッフはこの人から教わっているような気がする。
北井ジィという人を知り、背景や歴史を知る...しょっちゅうやっつけられるけど、そのことについて考え、思いを深め、彼の本質にふれられることができることも多い。
実際、彼を受け容れることができない人も多くいるかもしれない。
けど、彼に自分自身を受け容れてもらった時、何物にも代えがたい喜びを感じることができる。
そんな不思議な人...。
今は車いすの生活だが、僕が初めて彼に出会った頃は家の中をなんとか歩いていた。
当時からすでに体は「く」の字に曲がってたけど...

車いすでもベッドでも、ホントによく寝ている zzz

けど、お着替えやおトイレともなれば一気にスィッチ・オン

なぐる、つねる、ひっかく、唾を吐くなどなど

みんな傷だらけになり(たまに血を流し)、大笑いしながらジィに関わってくれている。
僕の自慢のスタッフ達です

とにかく彼は、『かんむら』の理念「あるがまま」を地で行くステキな人です。
以前から比べればだいぶ元気はなくなっては来たが、今でも大したもの。
ここで北井ジィの超人たるゆえんをチョットご紹介しよう

93才...
岡が気を抜きジィにうっかり背中を見せてしまったところ、後ろから腰をけられて頸椎をねん挫


94才...
ジィの着替えを手伝っていた訪問看護師の顔面を×××

当然、約2週間で死にそうになり療養型の病院に無事(?)転院。 そこで医師より「もって1週間」と宣告される...が1ヶ月後、驚異のカムバック

退院翌日、ヘルパーさんをシバキ、苦情が出る

95才...
脱水で1年に3回も死にそうになるが、その度に復活


握力がハンパなく強く、岡がしばらく手首を握られていたら、青アザができた。
今年の8月にめでたく96才に...
昨日の夕方おトイレに行った際、右脚の太ももがかなり腫れている


という事で、息子さんの卓チャンに連絡を入れると、「お母さんが頭から落としちゃった」だって

病院は既に閉まっているので救急医療センターに電話して、『かんむら』の近所の総合病院へ。

診察に入ると、先生を叩こうとするは、「トゥ~」って唾を看護師サン達に吐きかけるは...

でも、みんな笑顔で対応してくれた。
北井ジィは「なにか」を持っている...どういう訳か、好かれるんだよねぇ~。
レンドゲン撮影は、先生や看護師サンたち4~5人がかりで対応してくれた。
看護スタッフの「つみれ」とレンドゲン室の前で待っていると、
(北)「イタ~イ


(看)「きゃぁ~

と、和気あいあいのご様子。
レンドゲン室から出てきたら、マスクをさせられていた

「唾よけ」です。
レンドゲン室から出てきたお医者サンがいきなり、「後で説明しますけど、右脚でなく、左脚が折れていました... ですが、随分前に骨折しているようです...」と顔が引きつっているご様子

診察室でレンドゲン写真を見せて頂くと、確かに左脚の付け根の骨が折れている。
もうずいぶん古いものらしく、折れた骨と骨が擦れ合わさって、キレイに数センチは骨が消えている。
太ももの骨って、身体の骨で一番太い骨なんだよね。
それが折れて、普通であるはずがない

僕らが出会ってからは心当たりがないので、おそらくそれよりも前。
痛みをこらえ、いったいどうやって生活していたのか...?
先生もビックリしていたが、これには僕も声を失った。
やはり超人

太ももの腫れはしばらくすれば引くだろうとの事。
『かんむら』に帰って祝杯をあげねばと、帰りに買い物を。

よかったねぇ~ 北井ジィ...よかったよかった...。
そのおかげで、美味しいビールが飲める

卓チャンに無事との報告を入れると、彼はすでに一杯始めていた。
きっとそんな事だろうと...。
卓チャンもこのブログを楽しみにしてくれている。
今回もきっと、「北井ジィ」を親にもつ子として誇りに思う事であろう。

今夜だけは口元までビールを運んであげよう...特別にね。
またひとつ、『超人伝説』をつくった北井ジィでした
