2012-01-26 Thu
今日は、都留市(『かんむら』から40㎞くらい離れているトコ)に行って来た。行きも帰りも時間が押してしまい、高速を飛ばしたけど路肩は雪だらけ...

おっかなかった~

今日も昨日に続き、「地域づくり」がテーマのファシリテーターがお役目。
千葉、東京、埼玉の講師の方々...ご苦労さまでした。
山梨の講師、「NPO法人 コロボックル」の榊原さん、体調悪いのにおつかれさまでした...ご自愛くださいね。
会場に集った皆さんは、熱い想いの方たちばかりでした。
山梨も捨てたもんじゃない

さて、本題はここからです。
長い文章がダメな方はまた明日のブログでお会いしましょう

とにかく、不可解で理解困難なお話しだと思います...。
あしからず...

最近思うのだけれど、「地域共生」って誤解釈されている部分があるかもと...。
地域の中で生活している「見た目からして弱者」にあたる方に対し、どう支援の手を差し伸べればいいのか?
社会保障費は切り詰めなければならない...だから保険制度からこぼれ落ちた人たちを地域で何とかするためのシステムを構築しなきゃ

なぜか、「手帳を持ってる人」や、見た目で解る「なんらかの支援が必要な(手帳はない)人」に対して「必要な何かを

僕は「共生」ってみんなが一緒ってことだと思ってる。
別に何かをする事じゃなくって「そこにいるだけ」でも共生だと...。
お互いを受け容れ、お互いの価値や尊さやダメなトコを認めあえればいい。
そのために、地域の中にはいろんな人がいるんじゃないかと。
「共生の推進」も「地域づくり」も一緒だろうと。
(ちょっとヘンな文章になってきちゃったけど、最後まで読んでね~)
赤ちゃん子供や爺さん婆さん、元気な人や病んでる人も、たいへんな人もそうでない人も、み~んな一緒という事だと思ってる。
たいへんな人たちといえば不景気だし、み~んなタイヘンなご時世だ。
もちろん学校教育が必要な期間であったり「居場所は分かれてる方がいい」という方だっている。
「共生」がすべてではなく、誰もが選ぶことができる『居場所』や『かかわり方』の方法としての「選択肢」の一つとしての話です。
実は、「共生」の意味は誰でもそういう考えだと思っていた...らそうじゃなかったみたい

やっぱり、誰とでも話はしてみるものだ。
生活圏域の中でシステムや組織を作り、丈夫で健全な人たちがそうでない人たちに対し「何か」をしながら同じ地域で生活することを「共生」とする...そんなふうに理解をしている人たちも意外と多いみたいです。
施設のような所では、子供、障がい者、高齢者のすべてを住み分けする...ちゃんと壁やドアで居場所を区切る。
それでも「ウチの施設は屋根が一つだから、いわゆる一つ屋根の下です」みたいな...「だから共生です


まぁ、いろんな解釈があるけど、だったらムリして「共生で~す」なんて言わなきゃいいのに...。
普通に、「部屋は分かれてるけど、いろんな人がいま~す」でいいじゃない。
「共生」を提唱してきた先駆者である惣万サン西村サン...阪井のネーサンはじめみんなの「想い」を考えると泣けます...。
いろんな制度をつくり、いろ~んな人たちを分断するからややこしい法律・法令がたくさんできる。
その人たちを受け容れるための様々な施設を作ろうとするからたくさんのお金がかかる。
もちろん法策定当時は、「何とかしたい…それにはこれが必要だ!」と考えたに違いないだろう。
なにぶん、勤勉で真面目な日本人のこと。
結果、一度作り上げてしまった各保険制度をゴワサンにするのは難しいだろう。
既存の法にアレンジを加えなければならない。
たいへんだろうね...。
「お互いさま」と言える...誰もの「共生」。
大きな声を上げるのではなく、自然発生的であたり前のこと...。
僕は、とりあえず『かんむら』を続けること...。
かつ、介護保険をしっかり押さえながら運営してゆくこと...。
(なんだか、もっとヘンな文章になって来ちゃった~

前回、県の指導が入った時は、介護サービスを提供する上で、たくさんの是正改善の指摘を受けた。
しかしそれらのすべては、「書類や必要な記載事項がない」という事だった。
サービスそのものは「夜のお店」なみのスーパーケアを提供しております

けど、彼らの想いにもしっかり応えるよう1年頑張って来たつもりだ。
行政マンだろうが民間人だろうが、みんな解りあえると思っているからだ。
我慢できずに言ってしまうこともあるけれども、こちらの想いを解ってもらうためには、するべきことをちゃんとして信頼関係をつくってゆかなければという気もちでいる。
自分なりに、彼らの立場を理解してるとつもりではあるんですが...。
確かに、各県によっては各保険制度の縛り(解釈や在り方)の度合いが異なる。
高齢者の居場所に子供やヘンなの(『かんむら』を指してそう言い放った同業者がいた)がいれば、基準違反だとみなされることだってあるかもしれない。
ちなみに『かんむら』に対してモノ申した同業者の方、一度も『かんむら』という中身を見ずに、人から聞いた話で判断したという...。
また聞きじゃ文句を言う気にもならないから、ニコニコして聞いていた。
5年ほど前に岩手県の人から聞いた話だが、『共生型を知ったエライ人たちが「今度見学に~」なんて言うけど、10人中2人来ればいい方だ...信じちゃなんねぇ~』と言っていた。
「『かんむら』さんを見学に~」という人もいるが、1人来ればいい方かなぁ...。
きっとお時間がないんだと思います。
多忙の中、遊びに来てくれる人もいるけど...。
山梨学院大学の竹端先生は口だけでなく、「感じる」ために『かんむら』に足を運んでくれた。
想いがなきゃ、足が向くはずがない...。
僕は誰かが『かんむら』に遊びに来ると聞くと、嬉しいながらも純粋に申し訳ない気持ちになる。
「こんなんでいいのかな~」と思っているトコもあるからだ。
僕が自分で電話を取ると謙遜ではなく、「見に来るようなトコじゃありませんよ~」と言っている。
「それでも」と言ってくれる方には、「じゃ、お茶でも飲みに来てください」と伝えている。
現在、国は地域共生や共生型介護を推進している。
あの厚労省の村木厚子さんだって復帰するや、内閣府政策統括官「共生社会政策担当」という職責を担い、全国を行脚なさっている。
(もうダメ...読み疲れた方はムリせずまた明日~

24年度は被災地を中心に、共生型を推進するという指針も打ち出されている。
けど当然、今すぐ「共生型」を全国展開で...とはいかない。
選択する側は、都合の悪い所(面倒くさくなりそうなトコ)は「国(政府の概ねの指針に従う)」か「地方(県)」のどちらか都合のよい解釈で行きま~す...みたいな感じ。
人間、誰だって面倒くさい新しい事をわざわざしたくはない。
だから気持ちは解ります。
ただ、地域に住む人たち...利用者サンたちからの要望で今の『かんむら』が存在する。
度々いろいろな人のニーズや無理難題に応えるべく、僕が描く『かんむら』がどう様変わりしてしまうのだろうと不安な時期もあった。
けど、理念をたがえることなく、自他共に認めるヘンな事業所としてまだなんとか存続している。
本来の法律や条例なんかは我々国民や県市町村民のためにある筈だ。
「必要とされるサービスや支援を」との住民の声は届かず、なんで日本や県市町村の財政状況で毎回法律などが変わるのか...

今回もだが、効率を求めた介護保険制度改革で翻弄されるのはサービスを提供する事業所...最終的に大きなしわ寄せが来るのは利用する側の方たち。
民草の声が反映されるのが「政(まつりごと)」のはず。
財政状況で云々というのはどうだろう?
あんまりにもおかしい

それにより、保険サービスの適正を見極める「県の担当官(中核市などは市町村)」達だって毎回戸惑うはずだ。
『かんむら』に関わる現場の担当官たちは、みんな気持ちの優しいイイ行政マンなんだけどな~。
国のお役人たちや、決定権を持つ人たちのアタマが固いのかね~。
あとは、関係課との「風通し」、「話し合い」、「連携」なんかの問題...。
「老荘思想」にある一節...一番スゴイのは「水」 「水」は様々な形に変化し状況に合わせることができ、決して逆らわない 丸いコップや四角い升にだって収まることができる...。
とういようなくだりがある。
なかなかこうはなれないもんです。
このブログを書きながら反省してる次第です。
あっ、別に誰かを批判している訳ではないですよ~。
お間違えなく

法律に「はめ込む」のではなく、水のように柔軟に「その人に合わせる」といくとイイのだけれども、そもいかないものです。
けど一点だけ...政府に踊らされている大きな財団ホージンやらいかがわしい団体サンたち、また各有名団体首領の古ダヌキのみなさ~ん...。
何にも知らない善良な国民を惑わすのはやめましょう

ちょっとくどくなってしまいました
ここのところいろんな人や仕事に巡り会う機会が多くて...。
それはそれで楽しいんだけど。
けどやっぱりハードだったのかなぁ~、頭がいつも以上にポンコツになってます。
気が付いたらエラ~イ(甲州弁で「とても」の意)長く、クドクなってました。
スミマセン

やっぱり反省しております...
