2012-04-14 Sat
今朝のモーニング...じゃなくて病院食。
左手前が納豆のカップ、その奥が福神漬け、右手にご飯とみそ汁。
福神漬けはともかく、昭和30年代頃の「日本の朝」といった感じでしょうか...。
その時代のことは知らないけれども、懐かしい気はします。
さて、こんな時の強い味方...


もともと小食だが(この量でもご飯を残す)、これがあると寂しくない。
ほんのちょっと、幸せな気分になります。
島田サン...ありがとね。
ココでの生活は、心が苦しくなることや生活が不便なことも多い。
けれども、大切なことを改めて感じさせてくれる場でもあります。
ほんのわずかなこと、声掛けや心遣いがうれしかったりと...。
僕は、とてもズボラな人間。
横になりながらリモコンボタン一つでTVのチャンネルが変わる...。
なんて便利なことだろう。
TVをつけて勝手に喋らせておき、コタツにあたりながらうたた寝なんてサイコー

震災後、だいぶ改まったけど、こんな生活が無くなるなんて今は考えられない。
けど飽食の限りを尽くしてきた我々...。
こんな生活を長く続けていると、これまでの生活がいつまでも続かないように思えてきてしまうことも事実だ。
東日本大震災後から1年余り、我々が現在置かれている位置、そして環境は...

衆議院解散総選挙では、間違いなく「原発」の、「日本」の行く末が焦点となる。
今回ばかりは、ごまかしなんか効かないだろう。
「Yes」か「No」のどちらかなんだから。
個人的には、原発なんてない方がいいと思ってる。
おっかないもの。
東日本大震災後、岩手と宮城の被災地を1週間ほど訪問した。
ボランティアとして参加したりもした。
周りの人に福島に行くと告げると、「危険だ。絶対にやめておけ!」と言われた。
代議士さんたちは防護服を着て、あの地に立ったはずだ。
その後に及んでまだ原発を稼働させようというのか...

僕の代わりにココに入院して、一服盛ってもらった方がいいと思う

水力発電ですら「どうぞよろしく」とは言えない...。
せき止められた川の支流は枯れ、ヤマメやイワナなどの渓流魚は姿を消す。
魚釣りができなくなる...

特にこの20年弱で、魚そのものが住める場所が減ったと感じている。
魚の住まなくなった枯れた川の周辺は、地すべりや土砂崩落を繰り返してゆく。
木々は端から倒れ、離れたところからでも山肌が見えるようになってくる。
そんな山には、健康な木は育たない。
元々、この国の治山事業はお金が掛かりすぎる。
ばっかじゃないの~というくらい掛かるんです。
びっくりするような額です。
国土の70%以上が山だから不思議もないが、山一つにかかる額も半端じゃない。
国や自治体、行政でもってる山ならまだいい。
個人所有の山だったらエライことだ。
さらにその所有者が高齢者だったら...。
普段からほったからしの山、荒れるのにはそんなに時間はいらない。
一度荒れた山が生気を取り戻すためには、気が遠くなるほどの時間が必要だ。
僕は山や川が大好きだ...嘆かわしい限りである。
ここにいると、不便な生活も何とかなるような気がしてくる。
朝6時起床で21時就寝。
全然守れないけれど...。
基本的には、無駄な電力は使わないような方針になっているようだ。
エアコンだって、かなり寒くたって入らない。
この部屋にはTVもラジオもない。
入院してからというもの、テレビはもちろん新聞さえ読んでない。
こんな環境で、長期間生活ができるなんて思っていなかった。
今は、「脱原発」と声を上げている政党や団体、個人も少なくない。
僕は声を上げて何かをするつもりはない...できないし。
けど、半世紀ほど前の日本は、そんなものなくたって普通に生活できてたよねぇ。
すごく、不便だったと思うけど...。
絵や写真で見る日本の昔の原風景、そこで生活している人々の風景は暖かく、懐かしく感じる。
僕が小さいころ、遊びに忙しく時間を忘れて家に帰り、よく怒られた。
夕方、家路に帰る途中、風呂を炊く木々が燃えるにおいを嗅ぎながら帰ったものだ。
昭和50年代前半のあの当時、僕の住む地域では焚き木で風呂を沸かす家も多かった。
あのにおいを嗅ぐと、いまでも心が温かくなり、懐かしく感じる。
大人になってからは、七輪を買って来てはせっせと魚を焼いたりしたものだ。
薄暗い中で小さく燃える炎は、何とも温かく感じられた。
人間が本来感じられる能力であり、200万年ほどの太古の昔から「DNA」に書き続けられて来たものであるようにさえ思えた。
その火を見ていると、いつまでも飽きることはなかった。
あっ、放火歴はありません...。
『かんむら』を始める前は、1ヶ月に1~2回は家の庭でバーベキューをしていた。
震災後の『かんむら』でも、何度か焚き木を使って炊き出しのようなことをした。
計画停電のこともあったし。
精神的なゆとりがなくなって来てしまい、いつしかできなくなっちゃったけど...。
自分ができることから、はじめてみること。
効率だけを追い求めるのではなく、心にゆとりをもって、手を掛けること。
面倒くさがらず、ほんの少しだけでいいから手を掛ける。
「自然」や「自分自身や家族との時間」を愛でながらの生活。
でも、国民ひとりひとりがそういった意識をもつのは不可能だろう。
けど、もしも持つことができたら...

きっと目の前に見える我々の景色、そしてその人の「感じる心」まで変わるだろう。
そして、将来の日本の姿そのものも。
いま言えること...
原子力、水力、火力発電...。
確かに便利で、その恩恵にあずかってきた自分には複雑な気持ちもある。
けどそれらのどれと比べても、僕はあの焚き木の焼ける炎や香りが好きだった。
あの香りには、生活の営みや、その家庭の温かさまでもが感じられた。
あの香りを、子供たちにも知っておいて欲しいと思う。
大きなことじゃなくって、小さい事でもいいからすぐにできること。
いま、自分ができることからやっていこうと思う。
いずれにしても、退院してからだけどね...。