2012-04-17 Tue

入院するにあたり、内藤先生から戴いた「まけじぞう」。
「山梨布の絵本の会」という団体が作っているのだそうだ。
思えば、負け続けて足腰立たないながらも前へ前へ...というような人生だった。
ちょっとくらい負けたって恥かいたって、命まで取られやしない...何とかなる。
まさか、命にかかわる事態が起きようとは夢にも思わなかったけど...。
なぜだか判らないけど、人一倍頑張らなければならないと勝手に思っていた。
目の前のひとりのために...と理念をかたくなに守ってきた。
すると...ひとりどころか、芋づる式にいろんな人がもれなくくっついてくる。
一人の問題を解決するということは、地域のネットワーク無しには考えられない。
何年も前から、地域づくりやソーシャルワークを並行してやってきた。
家庭はそっちのけ、にもかかわらず、それでもいっぱいいっぱいだった。
いろんな人を巻き込んで手を借りてやってきたものの、息つく間もなかった...
自分が抱えてしまったものを、スタッフたちに投げるわけにはいかないと...。
気がつけば、妻や子供たちまで巻き込んでしまっていた。
いつでも、家族に対して申し訳ない想いばかりだ。
そのうちに、どこからともなく見学者達が来るようになった。
『かんむら』の説明をしながら、「大変だからやめた方がイイよ~」みたいな。
けど、どういうわけか立ち上げ当初から事業自体は順調。
営業活動もしてないのに、利用者サンやお金で苦労したことは一度だってない。
周りの方たちからは、もったいないような言葉をかけてもらえるようになった。
人件費の計上だって、NPOにもかかわらずかなりのものだ。
ある事業主サンと話をした時、「正当な対価を支払うべきだ」と言ってしまった

その事業所サンの考え方もあったろうに...。
でも、あの給与はあまりにも少なすぎだと今でも思う...。
だから介護業界は人材確保が難しくなっちゃうんだと。
それはさておき、周りの評価と自分の心情にはもの凄いギャップがあった。
いつでも漆黒の深海で身動きとれず、焦っている状態。
苦しくて、自分で息をしようと心がけなければ、息を止めたまま生活してしまう。
今でも寝ている時、息をしてなくて苦しくなる夢を見ることがある。
苦しくて目が覚めると、ホントに息をしてなくて苦しい...

睡眠時無呼吸とは違い、どうも意識的に息を止めてるみたいだ。
まったく馬鹿げている...。
無酸素状態でなんかじゃ、ロクなことはできない。
気がついたら、ポンコツどころか廃車となっていた。
「廃車」だろうが「敗者」となろうが、勝手にやめられないのが人生...。
だからこそ、何度も立ち止まって息を整える必要がある。
そんなことにも気がつかないままこんなトコに来てしまった。
頭一つに両手足しかない身体...できることなんてたかが知れている。
何でもかんでもというのは無理だ...。
解っているつもりだったが、「つもり」の次元での理解だったということ。
「まけじぞう」のような存在が身近にあるとどんなに楽だろう。
「まいりました~

そこで一度、仕切り直しができる。
ありがたいことです...。
やっぱり、自分が気持ちよく仕事、生活ができる環境設定が必要だ。
あ~っ、また今日もこんな話になっちゃった...。
みなさん、お付き合いいただきスミマセンでした。
こんなトコにいるので、明るい話題などサッパリです。
暇だし、何にもすることないし、つまらないわで...。
ま、つまるところ...
自分がやってきたことがホントに社会に必要ならば、誰かがやってくれるだろう。
僕じゃなくっても。
やっと『かんむら』のような事をしたいという仲間達も出てきてくれたことだし。
ココを出られたら、今度こそ気を張らずにのんびりとやってゆこうっと...。
すこし自分勝手に...。
...ってな感じになるかと思います
