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岡  秀 行

Author:岡  秀 行
本当は「寺小屋」のようなことをしたかったんだけどなぁ...どういう訳か今は山梨県甲府市で『かんむら』という名のみんなの居場所を制度を活用しながら、時には活用しなかったりしながら運営しています。この先はたぶん制度から離れていく方向になるのかなぁ...。いずれにしてもココは誰も排除することなく、にぎやかでごちゃまぜになることを楽しんでいる場所です。

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ほめられること...
「人」が成長する過程で、「ほめるられる」という事が非常に大切だそうだ。

僕は、「ほめ上手」ではない。

できるものなら、そうなりたいと思っている。

無理(お世辞)に人をほめるのは、特に下手だ

まず、顔が引きつる...これは口元に笑みを保ちながらほめようとするから。

次に、冷や汗をかき始める...なぜか自分が照れだしてしまうのだ...

自分がほめられたことがあまりないので、どうやっていいのかわからないみたい。


別に言い訳するわけじゃないが、僕は両親にほめられた記憶がない。

そういえば、学校でほめられた記憶もあまりない...。

記憶にないんだから、きっとそうだ。

数年前、子育てについて両親とチョット話した時にも、そんな話題が出た。

両親は、自慢げに「お前のことは確かにほめなかった」と言う...。

というか、そういう教育方針ではなかったらしい。

「可愛そうな気もしたけど、厳しく育てればイイ子になると思ってた」と...。

お馬鹿サン~~~

だいたい、叱るどころの剣幕じゃなかったじゃないかぁ~...

やめてくれ~~~と、年がいもなく本気で両親にキレてしまった。

こんなふうに思春期に言えればどれだけ楽だったか...。


岡家は、剣道一家だった...。

父が剣キチだ。

ある意味母も...。

剣道キチガイというか、「お侍サン」です...。

今は本当に丸くなったが、20年ほど前まではヤバい人だった...

公務員なのに、あっちの世界の人に間違えられることもしばしば...。

当然、僕も物心つかない内から竹刀を握っていた。

竹刀を初めて握った記憶なんてない。

物心つかない内から剣道してるんだから、試合で勝つのはあたり前。

たとえ勝ったって、勝ち方が悪いと言われてはよくブッ飛ばされた...

試合中に張り倒されて、「怪我でもしたら、責任とれるんですか」と相手チームの監督サンが父を怒鳴りつけたことがあった。

内心、「いいぞ...もっと言ってやれ~」と思ったら...

これはうちの息子だ 焼こうが煮ようが俺の勝手だ~

と言い返したら、監督サンは黙ってしまった...

監督サンには、もう少し頑張ってほしかった...

昔は、こんな人たちもいたんだよねぇ~。

最近は大ごとになっちゃうからいなくなったけど。

道場だけだったらまだいいが、家に帰っても修羅場だった。

寝ても覚めても...。

「巨人の星」もそうだが、昔はそんなもんだったのかもしれない...。

ただ、主人公の「星 飛雄馬」が父親に殴られる時、姉サンが止めてくれていた。

ウチの場合は、父親と一緒に母も参加していた...

母は殴らなかったけど...。

けど、両親はそれが「良い子に育つ」と思ってたらしい...。


あれは高校受験のときっだった...。

両親は、「剣道で高校日本一になれ」とよく言っていた。

「これ以上剣道をしろなんて正気じゃない...死んだほうがましだ」と思った。

なんとか剣道をしないで生活してゆける方法はないだろうか...

そこで名案を考えた...

両親への反抗、そして自分自身を守るための手段だ...といえば聞こえはイイ。

ホントは怖くて苦しいことから、ただ逃げたいだけだったんだろう...。

あの頃の父は、ハンパじゃなく字を書くのがヘタクソだった。

そう...いまのシローと同じくらい。

だから僕が自分で進路希望を書こうと...ナントいう名案...

剣道なんかしなくてもいい学校...そう、進学校だ

第一希望から第三希望まで、すべてが剣道とは縁もゆかりもない学校。

剣道が嫌でイヤで仕方なく、親に内緒で希望を出してしまった...

どうせバレちゃうのに、真剣にその時は何とかなると思った...。

とっても単純な奴だった...。

で、忘れもしない中三2学期、クラス担任と母、僕でとの三者懇談...。

大騒ぎになってしまい、父が飛んできて四者懇談になってしまった

父がドアを開け教室に入ってきた時、本気で死んだフリをしようとした。

山の中で熊に出会った時みたいに...

あの時、担任と両親がどんな話をしたのかは覚えていない。

そうとう意識を遠くに飛ばしていたんだろう...。

とうてい、絵文字でなんか表せないような表情だったろう。

ただ、初めて自分で「進学校に行きたい」と言ったことは覚えている。

あれが両親に対する、初めての反抗だった。

「もう剣道はしたくはない」とは言えなかった...。

目標があって進学校に行くんじゃなく、ただ剣道から逃げるためだった...。

勉強なんか大嫌いだったのに...。

ひょっとするとどこかで、両親ががっかりする姿を想像してたのかもしれない。

でも、とにかく逃げるために必死だった。

あの時は、それが良いのか悪いのかなんてどうでもよかった...。

高校に行っても、遊び程度に剣道は少しやったのだけれども。


25年が経ち、今...。

あの時のドラ息子はゆっこサンと結婚し、2人の子供ができた。

子供たちにはのびのび育ってほしいと思う。

やりたいという事はできるだけさせてやりたい。

いろんなものを見て、自分たちで見極めてほしい。

それでいいんだと思います。

僕は小学校6年までに、ピアノ、習字、そろばん、剣道...等々

いろんな習い事をさせてもらった。

これはこれで、両親に感謝している。

ただ、どれも自分がやりたいことではなかった。

戦後の厳しい時代に育った両親は、習い事だって満足にさせてはもらえなかった。

せめて自分の子には...との思いで僕達を稽古に通わせたそうだ。

ピアノ、習字、水泳...場所が遠いと、母が送り迎えをしてくれた。


若い時期は、本気で両親を恨んでいた。

大人の服を着た子供だった...。

数年間、二度と戻ることはないと家を出てしまったこともある。

母は泣いていた...。


良くも悪くも、子供は両親が掛けてくれた心を感じ取っている。

だから僕も実家に戻ってきたのだろう。

生き方は、親でなく自分が決めるもの。

結局は自分自身...。

何処をどう歩いても何とかなるように、育ててもらったことに感謝している。

今回はこんなコトになっちゃったけど...。


人だけでなく、自分自身をほめる作業も必要らしい。

まずは自分自身をほめる練習から始めるとするか...。

ほめられるようなトコ、あるんだかどうだか...
























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