2012-04-27 Fri
昭和の時代のご近所時代づきあい、古き良き時代が懐かしい...。僕が幼い頃、コンビニなどはなかった。
母が夕食を作る時に調味料がないと、よくお隣に借りに行かされたものだった。
近所にはだれが住んでいて、どんな人かも知っていた。
今の時代は、プライバシーが最優先される。
いつ越してきたのかも知らずに数十年がたち、みんな年をとってゆく。
お隣さんが介護状態になっていることすら知らない...。
仮にそうなったって、介護保険でも使えばイイくらいに思っているのかなぁ。
ご近所サンどうしの良い意味での「貸し」「借り」...。
「貸し」「借り」の根本にある「心」や「絆」が優先される時代は終わり、いつしかすべてが「お金」で済む、便利な社会になった。
ココのお隣サンである30代くらいの女性「T」サン...。
入院以来、ココで働く人や患者サン含め、唯一僕が名前を知る人だ。
ココに来た初日、まだ上手に喋れなかった僕に挨拶と自己紹介をしてくれた。
嬉しかった...。
ちなみに、こういうトコで生活するには、挨拶や自己紹介は必要ないようだ...。
ココで働く人たちは僕の苗字は知っているが、それ以上の事に関心はないらしい。
それはそれで気が楽でいいけど...。
その代り、ここで働く人が看護師サンなのかそうじゃないの人なのか...
僕にはいっさい解らない。
入院前の面談のこと...。
対応してくれた人から、「この病院の精神保健福祉士です」と自己紹介があった。
随分長い名前だなぁ~みたいな...。
顔に表情はなく、とても不思議な感じがした。
緊張してらっしゃったのかな...?
ココで働く人たちが、自分の名を名乗ることはない。
だから、働いている人の名前や、誰がどんな立場で働いているのかも知らない。
もう、働く人たちの名前なんてどうでもイイのだけれど...。
ただ、少々不自然で、気味が悪く感じているだけだ。
その「T」サン...4階から3階に引っ越しをした。
3階には、もっと重篤な症状の患者サン達が入院している。
彼女も不穏だったので、積極的な投薬治療に入る必要があるのだろう。
引っ越すのも大変な騒動だった。
それはムリもないだろう...。
なぜ自分が居場所を追われることになったのか、本人は解らないのだから。
病室の移動を伝えられたのは、移動直前だったらしい。
前日では夜間、不穏になってしまうからというのもあるのかもしれない。
病院や患者サンの都合、総合的に判断されてのことなんだろう...。
ただ僕は、たいへん複雑な心境だった。
可哀想だと思った。
入り口ドアのガラス越しに様子を見ようと思えば見られた。
けど、その勇気がなかった。
彼女の声だけが聞こえ、その声が聞こえないように自制していた。

彼女がいなくなった部屋は、すぐにきれいに掃除された。
新たな住人がいつやって来てもいいように。
そして何事もなかったかのように、みんな普段の生活に戻っている。
一般社会とは隔絶した世界...ココにはココのルールが存在する。
これまで学んできた社会の常識がすべてではなかった。
以前、働いていた職場でのことを思い出す。
ちょうど、ココと似たような場所だった...。
当時、そこで生活している人の立場に立って物事を感じようと懸命だった。
いま思うと、思い上がりも甚だしかったなぁ~と、懐かしく感じる。
愚かで、一所懸命だった...。
愚かなトコはいまでも変わることはないが、よい想い出だ...。
やはり、「そこで働いている」のと「そこで生活する」のとはまるで違う。
まず、見えている景色や判断する立場からして違う。
だから、感じ方そのものが違っている。
あたり前だけど...うまく説明できない。
ただ、そこにしばらくのあいだ身を置けば、解ってくる...。
人それぞれの違いや個性を認め合い、人として交わってゆく。
「働く者」と「生活する者」との違いはあっても...。
そもそも『かんむら』にはその違いすら明確ではないのだが...。

当事者にはなれなくても、そこに寄り添う気持ちが大切なのだと...。
それでいて、たまには身勝手な息抜きも...。
そんなふうに思えます。
ココの生活に慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだ...。
或いは、自分自身の精神世界をさらに破壊し、キレイに染まっちゃうか...。
ココでの生活は、お金さえかければ誰もができるという経験ではない。
せっかくだから、イイ経験にしたいけれども...。
いずれにしても、とっても難しい...
