2012-05-11 Fri
ココの住人たちは、ハンパじゃなく食事が速い。見かけたことがあるが、食事の1時間ほど前には食堂で待ってる人がいる。
そこに食事のお膳が載ったワゴンと、食べ終わった食器を載せるワゴンが来る。
時間になるとワゴンから食事が出され、食卓に着いた患者さんたちに配膳。
僕は自分で食事を取に行き、部屋で食べている。
僕が食事を取に行った頃に、「いただきます」の掛け声で一斉に食事が始まる。
取りに行くのがちょっと遅いと、僕の食事を乗せたままワゴンは行ってしまう

今日みたいに「もう少し早く取りに来て」と、小言をこぼされることになる

部屋に戻り食べだす頃には、向こうで食事を片付ける音がしだす。
結構なプレッシャーの中、小さな声で「いただきます」と言い食事を始める。
速い時には、食べだして5分もすると職員が部屋に食器を片づけにやってくる。
「もう少し待って」とも言えず、悪いので食事をやめて持って行ってもらう。
なんとか食べ終わり、食器を戻しに行くと片付け用のワゴンがなかったり...。

人のペースに合わせることは難しいなぁ~と思ってしまう。
ただ、もう少し『ゆとり』をもってもいいのに...とも思う。
『待つ』ということ...。
立派な仕事ではないだろうか...。
『かんむら』のスッタッフたちには口うるさく言ってきたが...。
なかなかできないんだよねぇ~。
その『待つ』ってことが。
業務効率を追い求める職場で身についたモノは、簡単に拭い去ることはできない。
たとえ頭では理解できたとしても、身体はそうそう言う事が聞けるもんじゃない。
さて...誰のための仕事なのだろう...

急ぐことができない僕は、『待てない』こと自体が理解できなかった。
最初は『待つことができない』人に対し、どう話せばいいのか解らなかった。
こういう人種に『待て

やっぱり、犬とは違うのである

犬の方がまだモノワカリがいい...。
あっ、これは「たとえ」というヤツです。
差別やそういった類の含みはなく、解りやすい表現として起用しました。
ちなみに、こういう人たちが元気のイイ施設は、「工場」と化す...。
「管理」という業務に、一人ひとりが没頭できるシステムをもつ工場...。
システムに特化し、行く果ては自分自身がそれに支配される。
「法」も「社会システム」も、人が人らしくあるために存在するもののはずだ。
福祉や医療施設の本来は、どうあるべきものなのだろう...

こんな病院や、何かしら不自由さを持った人に対して『待つ』のは大切な仕事だ。
たしかに、働く側の都合というのもあるのだろうけど...。
それが先に立っちゃぁねぇ~...。
人に手をやかせてる自分が言えることじゃないけど...

「働く人」と「面倒を見てもらっている人」...。
「面倒を見てもらってる人」もだいぶ気を遣うものだなぁ~...。
この気持ちを心底感じられただけ、ココにいた甲斐もあったものだ。
