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岡  秀 行

Author:岡  秀 行
本当は「寺小屋」のようなことをしたかったんだけどなぁ...どういう訳か今は山梨県甲府市で『かんむら』という名のみんなの居場所を制度を活用しながら、時には活用しなかったりしながら運営しています。この先はたぶん制度から離れていく方向になるのかなぁ...。いずれにしてもココは誰も排除することなく、にぎやかでごちゃまぜになることを楽しんでいる場所です。

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提出課題...
ほぼ時間ギリギリでしたが





無事に提出できました😰



それもこれもみなさんの協力あってこそ、



本当にありがとうございましたm(_ _)m



こんな時には毎回思うのでですが、



こういった事がホント苦手というか



アレルギーに近い拒否反応を起こします😓



ウチの子供たちも苦手なのですが...💧



また今回のようにすべてにおいて規律を大切に❗️



時間厳守ではみ出す事なく決まった通りに‼️



勝手に「すべてにおいて規則正しく」と感じてしまい
(だって資料を止めるクリップの位置まで指定される😓)



とにかく息が詰まってしまうタチです...



たぶん「ガーッ‼️」と来られると「普通じゃダメだ!ちゃんとやんなきゃ」というスイッチがはいるらしく😓



そんな自分も本当は嫌いなのですが幼児体験のトラウマが底にあるわけです😱



簡単にいうと幼い頃に「ちゃんと‼️」という漬け汁に沈められつつあった自分と



「そんなトコにいたらヤバいぞ‼️」という自分自身が闘っている感じです。



いずれにしても「なぜそうしなければならないのか」を説明してもらえればありがたいのだけれど、



たとえばクリップ止めの位置はこういう理由だからとか。



それがないと、



「読み手の都合のためだけに説明もなく高圧的な指示を出す訳ですね」と勘ぐっちゃう😓



「指示」の裏側に潜む「支配欲」を勘ぐってしまう💧



今回の様に入口で「提出時間の超過は許しません‼️」と上から強行目線で言われてしまうとね...



なぜそうしなければならないのか説明があったらなぁ



できないのであれば高圧的な言い回しではなく「よろしくね❤️」的な感じだとなおよろしいかと...



だからどうしても破ってしまいたくなっちゃう困った天邪鬼(あまのじゃく)です😅



めずらしく和美サンが



「ちゃんと研修受けなきゃだめよ‼️」



そう言うからなんとかやってみました😓



彼女がいなかったら更新はしなかっただろうなぁ...



ボク達がこどもの頃は個性の前に集団をまとめるための規律「ちゃんと」というのが大事でした。



まわりの子供やクラスの子供達はみんな苦労もせずに「ちゃんと」していたように見えました。



同じようにできないボクはいつもみんなの前で先生に怒られて惨めでした。



その惨め(みじめ)という言葉すら知らず、心模様を言語化できない自分をもう一人の自分がなじっていた。



あれはもう一人の自分ではなく両親や先生たちが創り上げた「もう一人の自分」だったのだろうなぁ...



みんなが望むようにそうなんなきゃいけないと。



だからなのか、ないものねだりなのか



何でも決まり事を淡々と普通にこなせてしまう人たちを見ると今でも純粋に凄いなぁ...と思います。



ま、今となってはいろいろと難癖つけるのは自分が普通に出来ない言い訳を探しているのかもですね。



いずれにしても分別の無い子供の頃、



おとな達に「なぜみんなと同じようにできないんだ💢」と怒られ続け惨めだったり「❓」という感じもだったけれど...



それでもさすがに中学生の頃には「やっぱり自分はみんなと違うんだ...😖」と思い不安でいっぱいでした。



みんなと同じように出来る事がお手本になる時代でした。



そして順調に高校生2年生で引きこもってしまい絵に描いたような「落後者」となりました。



真昼間でも真っ暗にした部屋のなかで、



「ボクは社会人ってひとにはなれないんだろうなぁ」



「みんなと同じように働けなくて何処かで野垂れ死んじゃうのかなぁ」



「もう生きている価値なんかないな...」



勝手にまわりの同級生と自分を比べ絶望し



毎日まいにち、



何年もそう思いながらただだ生きてるだけ。



そこになんの価値も見いだせるはずもありませんでした。



が、かんむらを始めてからずっと思っているのですが


     
「ただいきているだけ」でなにが悪いのでしょう?



人の(お国)ため、社会の役に立てというのは第二次大戦の思想の遺物なのではないのだろうか...



親となったいまはっきり言えます。



凶悪犯罪を起こす起こさぬ云々あるけれども



りっぱにならずとも



生きていてほしい。



できればでよいのですが、



人の評価はともかく自分自身が



子供たちはもとより世界中の子供たちが



「まいにち楽しいなぁ~」と思えること



そんな道を見つけられることを望んでいます。。。

未分類 | 23:36:26 | トラックバック(0)